万博設計

アパートの一階の北の部屋にはいっさい日がささない。隣りが迫っていて暗い。しかもそのスキ間を風は通るが、部屋には入ってこない。そこで大きなカガミを持ってきて、それを窓の外に斜めに取りつけた。その斜めのカガミに風が当たって部屋の中に入って来る。おまけに家と家のスキ間から見える外の景色が反射してよく見えた。もちろん、こんなふうにバンカラに住めるのは学生だからで、何も皆さんにこれをそっくりすすめはしない。しかしこんな工夫が色々なアイディアを生む基礎となったことは事実だ。万博設計当時、妹と住んでいた本郷三丁目のアパートなら、少しは皆ざんの参考になるだろう。この部屋は、六畳間が二つとダイニングキッチンがある、いわゆる2DK。片方の六畳間を寝室に、もう片方の六畳間とDKを設計室にしていた。そこに多い時は五、六人のスタッフが働いていた。時にはバスルームさえ製図板を置いて描いていた。夏になると後輩の学生たちもいっせいに手伝いに来る。鈴木エドワード、高俊民そしてツー・オング、彼らはそれぞれアメリカの大学に行っていたが長い夏休みは日本で私の事務所にいた。そんな中、妹が、「お兄ちゃんのところに居候するならば」という親からの条件付きで田舎から出てきたときには参った。さらなる工夫なくしては、どうにもこうにも暮らせない。で、どうしたか。それまでデーンと大の字で寝ていた私室の六畳間の中央に、私のダンスと妹のダンスを互い違いに置いて部屋を二つに区切った。

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